明治の文明開化では、和魂洋才と日本の伝統的なものは西洋の物に比して劣っているとされました。本当にそうだろうか?
私は疑問に思うように成ってきました。
「日本古来の物や文化はけして西洋に劣っていない」
それどころか文明開化で取り入れるべきだったのは洋才ではなく洋魂…つまり合理的な物の考え方だったのでは?
何百年という年月を経て形づくられた物は、その過程で不合理なものは淘汰され、使いにくいものは改良される。人間誰しも便利さを求めるものだから。
そう考えると、古来の和の物は一定の合理性を持っているのが当然だ。
そう考えるようになったキッカケは「手拭い」。夏場にハンカチやタオルが汗臭くなるのに閉口し、貰ったのを使うように成った。
物は何のへんてつもない布を切っただけ。切り口から解れてもそのまんま。
最初は
「何だかな~」
けして良い印象は持てなかった。
ところが暫く使ってみると、これが以外に使い勝手が良い。
ハンカチとハンドタオルとバスタオルを一枚の手拭いで代用出来る。
旅行に手拭いを使うようになると荷物の量が大幅に減った。それから少しずつ手拭いを買い集めるようになり、今では手拭いばかりだ。
古臭いと思っていた日本古来の物の方が良かった。驚いた。
それから少しずつ日本古来の道具を試すようになった。
勿論、和の全部が良いとは言えない。生活様式や社会の変化で、そのままでは使えない物もある。
草履、下駄などが使えると、今現代人の抱えている足のトラブルの殆どが解決する。
水虫、外反母趾などは靴を使うようになってからのお悩みなのでは?
高温多湿な日本の気候に靴は合ってないと思う。
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