結局、英語からは逃げられない。

 「英語が出来なくたって生きていける」

確かに間違いではない。私もずーとそう思っていた。ところがここに来てそうは言っていられなくなった。何をやるにも英語が必要になってきた。子供の頃から恐竜が好きで良い爺になっても、未だ恐竜への興味が冷めない。もうちょっと恐竜のことを勉強したい。そう思って大学の古生物学の教科書などを買った。日本語はそこまで。それ以上のことを知りたいと思うと英語の文献しか無い。岩石や火山のことも大学の教科書は日本語である。だがその先は英語。まぁ科学は仕方がないと思う。

では趣味の外国語ではどうか。古典エジプト語…いわゆるヒエログリフ。入門書は日本語でもいっぱい出ている。だがその先の文法書や辞書になるとやっぱり英語。古典ギリシャ語…日本語だと壊滅的。ところが英語ならどれにしようか迷うぐらいある。コプト語…日本語では入門書すら見つけられない。英語ならあるのに。ラテン語も同様。

古語はまぁ仕方がないか。でも現代使用されている言語なら…入門書はドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、アラビア語、中国語などなど…結構出てる。では中級以上だとどうか。途端に激減する。特に辞書が厳しい。マイナー言語に至ってはなんともお寂し限り。出版しても売れないのか?

料理も英語の方が圧倒的に品揃えが豊富だ。特に専門書になるとその差が顕著になる。

あまりの日本語の文献の少なさに、仕方がないので英語で勉強することにした。すると全く違う世界が眼前に広がってくる。自分に向いた参考書を選ぶ自由が与えられる。オーラルコミュニケーションをメインにしたいならそれ用の教材が色々ある。辞書だって選べる。勉強している人のコミュニティーもあるから孤独感を感じる必要もない。参考書を選ぶのに感想も聞ける。

なんとか逃げ切りをと頑張ってみたが…だめだった。


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