テーマを決めてそれに沿った記事を書く…のだそうなのです。ブログとはそうゆうメディアなのだそうです。でも、私にはそんなこと無理!やろうとしたらいくつもブログを立ち上げなくてはいけなくなる。そうすると更新頻度がものすごく低くなってしまう。現状がまさにそれ。これでは意味がない。なのでゴチャ混ぜにする。私はそういう人間なんです。開き直った!
旅行も語学も料理も、プログラミングも何でもかんでもここでやる。
申し訳ないですが、読み手のことより自分が楽しむことを優先する。
雑記帳です。外国語のこと料理のこと、などなど
テーマを決めてそれに沿った記事を書く…のだそうなのです。ブログとはそうゆうメディアなのだそうです。でも、私にはそんなこと無理!やろうとしたらいくつもブログを立ち上げなくてはいけなくなる。そうすると更新頻度がものすごく低くなってしまう。現状がまさにそれ。これでは意味がない。なのでゴチャ混ぜにする。私はそういう人間なんです。開き直った!
旅行も語学も料理も、プログラミングも何でもかんでもここでやる。
申し訳ないですが、読み手のことより自分が楽しむことを優先する。
易しい本をいっぱい読んで英語をマスターしようというメソッドが存在する。これは別に英語に限ったものではなくドイツ語でも中国語でも可能なのだが、要は母語を学習するプロセスをなぞって言語を学ぼうと言うものだ。私はこの方法をかれこれ十数年続けている。続けていると言うより英語を読むことに対するハードルが低くなったことで、日常生活が英語化したというのが正しいのかもしれない。おかげで多大な恩恵を受けているので英語多読自体は素晴らしい学習方法だと思っている。
ところがことTOEICのスコアとなると、どうも結果が芳しくない。どうしても600点を超えることが出来ず頭打ちの状態で何年も推移している。TOEICのスコアが何点だろうが実際には問題にはならないのだが、やっぱり取ってみたいんですよ900点以上を。多読で900点以上を取っている人間もいるので不可能では無いようなのだが、どうも私には難しいのではと思い出した。
TOEICを調べてみると、もともとビジネスでも英語の運用能力を測定することを目的に開発されているそうで語彙もそっち方面のが多い。私が主に読んでいる料理などの実用書や小説とは範囲が異なっている。試しにROEIC用のボキャビルの本を読んでみると随分と知らない言葉が出てくる。これではスコアが伸びない筈と納得した。
「英語多読だけでTOEIC900オーバーは可能か?」
と問われれば
「不可能ではない。でも、効率的とはとても良いがたい」
というのが私の実感だ。多読が無駄になるとは思わない。だがスコアが欲しいなら、それ用の勉強をしたほうが良いと私は思う。ある資格が取りたくて私もスコアが欲しくなり勉強を始めた。
自宅に場所を取るだけで、全く役に立たなくなってしまったピアノが設置されたままになっている。音を鳴らすことなど三十年ほど無い。それでも売りにも出せず結構な場所を占有している。弾くことなど無いだろうけど、未だに未練が残っているからだ。
それが、ひょんなことからひょっとしたら弾けるようになるかもしれない可能性が見えてきた。そこでトレーニングを開始した。開始した日は4月12日。トレーニングの結果がどうなるか記録として書き残しておこうと思う。うまく行ってもだめでも、後から読めば何かしら得るものがあるのではないかと思っている。
現在のところ壊滅的に解らない。昔は(ピアノを弾いていた子供の頃)そこそこ歌も調子っぱ連れにならずに歌うことも出来た。音痴と言われたことは無い。それが最近、自分でもわかるくらい狂ってる。カラオケに行きたくない。歌を歌うことが苦痛なのだ。歌っていて音程がずれているのが判るから。その原因がこれかもしれない。
ピアノを弾かなくなって、いくつかの能力が衰えた。それらが戻ってくれると嬉しい。日常生活で苦労しているのでけっこう切実だ。効果が見えてくるまで一ヶ月ほどかかるそうなので暫くは辛抱だ。
「英語が出来なくたって生きていける」
確かに間違いではない。私もずーとそう思っていた。ところがここに来てそうは言っていられなくなった。何をやるにも英語が必要になってきた。子供の頃から恐竜が好きで良い爺になっても、未だ恐竜への興味が冷めない。もうちょっと恐竜のことを勉強したい。そう思って大学の古生物学の教科書などを買った。日本語はそこまで。それ以上のことを知りたいと思うと英語の文献しか無い。岩石や火山のことも大学の教科書は日本語である。だがその先は英語。まぁ科学は仕方がないと思う。
では趣味の外国語ではどうか。古典エジプト語…いわゆるヒエログリフ。入門書は日本語でもいっぱい出ている。だがその先の文法書や辞書になるとやっぱり英語。古典ギリシャ語…日本語だと壊滅的。ところが英語ならどれにしようか迷うぐらいある。コプト語…日本語では入門書すら見つけられない。英語ならあるのに。ラテン語も同様。
古語はまぁ仕方がないか。でも現代使用されている言語なら…入門書はドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、アラビア語、中国語などなど…結構出てる。では中級以上だとどうか。途端に激減する。特に辞書が厳しい。マイナー言語に至ってはなんともお寂し限り。出版しても売れないのか?
料理も英語の方が圧倒的に品揃えが豊富だ。特に専門書になるとその差が顕著になる。
あまりの日本語の文献の少なさに、仕方がないので英語で勉強することにした。すると全く違う世界が眼前に広がってくる。自分に向いた参考書を選ぶ自由が与えられる。オーラルコミュニケーションをメインにしたいならそれ用の教材が色々ある。辞書だって選べる。勉強している人のコミュニティーもあるから孤独感を感じる必要もない。参考書を選ぶのに感想も聞ける。
なんとか逃げ切りをと頑張ってみたが…だめだった。
万人に効果があるとは思いませんが、私には効果があったフケの治し方です。この方法で以前は肩が真っ白くなるくらいだったフケが、嘘のように出なくなりました。同じように悩んでいる人の参考になれば嬉しいです。
私は若い頃からフケがひどく悩みのタネでした。接客業だったのでフケはまずい。毎日のように洗髪はしているのに、後からすぐに出てくる。濃い色のスーツを着るのが怖かった。誰に言われるでもなく、不潔だといわれているのではとビクビクしてました。もちろん色々試しましたよ。フケを抑えるというシャンプー…一回使ったらかえってフケがひどくなり、丸々一本捨てる羽目になった。皮膚科に行ったら「炎症を起こしていますね」と言われ消炎剤を処方された。肝心のフケに関しては何もなし。石鹸シャンプー…悪くはなかったけど効果もなかった。ベビーシャンプー…効果なし。ヤケクソでお湯で洗うだけにしたみたが痒みひどくて困る。フケは変わらず。
これ以上洗浄力が弱いシャンプーは無い。どうすれば良いんだよ…と煮詰まってしまった時に、ふと鏡で額の生え際をじっくり眺めてみた。なんか妙にカラカラに乾燥してない?油っけどころか水々しさも毛ほどもない。乾燥し過ぎで皮膚が剥がれている?ひょっとして乾燥しすぎているのが原因?
洗浄力が弱いシャンプーでなくて、洗った後皮膚に潤いを与えてくれるようなシャンプーってあるのか?探すとありました。このときに見つけたのが今使っている
です。藁にもすがる思いで試してみると何か良い。フケが無くなるとまではいかないけど痒いのはだいぶマシになった。このとき残っていたシャンプーやらリンスを全部処分した。もったいないけどどうせ使わないからと。
その後、たまたま頭皮のマッサージをしてみたところフケ症が治りました。今にして思えば皮膚の乾燥が大本の原因だったんですね。そこから痒みが出て、フケも出ていた。なのでシャンプーをして油分が失われると更に酷くなった。悪循環だったわけてす。
私の使っている物以外でも、保湿成分が入っているシャンプーなら同様の効果があると思います。無論フケが全く出なくなるわけではないです。それでも、遥かに前に比べたらマシです。
フケで困っている方、試して見ることを勧めます。
日本の出版業界には再販制度と言うのもが存在する。
この制度は一応、「読者が書籍を確実に入手することができるようにするためにあるんだ」と言われる。これって本当だろうか?私はこれは嘘だと思う。間違っても読者のためじゃない。どうも作者のためでもないらしい。
日本語だけで生きていると、比較対象がないのでなんとなく「そんなもんか…」と思ってしまう。だけど英語を日常的に使うようになると現実との乖離に気づいてしまう。日本だと品切れ再販未定となっている本でも、、洋書だと普通に入手できることが度々ある。それどころがシリーズが合本になって大変お安くなっていたりする。
例をあげよう。
先日映画化されたフランク・ハーバートのDuneシリーズ。合本されて電子書籍化されている。お値段も日本語の文庫よりたいへんお買い得。シャーロックホームズシリーズも全集になっている。日本だと未だに文庫。ラブクラフトの作品も合本で豪華装丁のが出てる、これ欲しい。お値段も文庫より安い!これらは小説だけど、これ以外にも実用書などでもある。
日本だと絶版になっているような本でも普通に入手できたりする。
何度もこんな経験をしていると「本当は出版社のためにあるんじゃないの?」と思うようになる。ずーと定価で商売できますからね。あまりにもバカバカしいので、最近は日本語で読むより大変だけど洋書を買うようになった。
洋書だとまとめていくら…になっているハリーポッターも、日本だと最初の頃から変わっていない。再販制度の上に胡座おかいている出版社。それを保護するためのろくでもない制度なんか早く無くなって欲しい。
テーマを決めてそれに沿った記事を書く…のだそうなのです。ブログとはそうゆうメディアなのだそうです。でも、私にはそんなこと無理!やろうとしたらいくつもブログを立ち上げなくてはいけなくなる。そうすると更新頻度がものすごく低くなってしまう。現状がまさにそれ。これでは意味がない。なので...